「自立女子」って、ひとりで全部できる人のことじゃない

今朝の空は、冬らしく薄いグレーで、ベランダの手すりがやけに冷たく見えた。
目覚ましが鳴る前に一度だけ目が覚めて、布団の中でぬくもりと現実の境目をうろうろして、結局「起きなきゃ」を一口で飲み込むみたいに起き上がる。
キッチンでお湯を沸かして、カップにコーヒーを落として、湯気の向こうに自分の生活がちゃんと続いていることを確認する――この時間だけは、誰に褒められなくても成立する私の小さな儀式。
「自立女子」って言葉、たまに胸に刺さる。
自立してます、って胸を張れるほど強くないし、かといって誰かに寄りかかるのも上手じゃない。
それでも一人暮らしの部屋には、私の選択の跡がいろんなところに残っていて、洗いかけのグラスや畳んでない洗濯物さえも、なんだか“私の責任”としてそこにいる。
そんな朝、ほんの些細な出来事が起きた。
いや、些細というか、見て見ぬふりをしていた小さな不具合が、急に「ほら、逃げないで」って顔を出した感じ。
① 変な水音に気づいた瞬間、心が一段沈んだ
朝ごはんの皿を洗おうとして、蛇口をひねったとき、いつもと違う音がした。
シャーッ、じゃなくて、コポ…コポ…みたいな、喉の奥で何かが詰まっているような音。
嫌な予感って、当たるときほど静かにくる。
シンク下の収納を開けて、洗剤のストックをどけて、ライトをスマホで照らしたら、排水管のあたりがじっとり濡れていた。
水が滴っているほど派手じゃない。だからこそ厄介で、「気のせい」にできてしまう程度の濡れ方。
でも、濡れてる。確実に。
私はその場で数秒固まって、なぜか最初に思ったのが「うわ、めんどくさ」だった。
焦りより先に、面倒くささが出るのが我ながらリアルで、ちょっと情けない。
でもその面倒くささの中には、ちゃんと別の感情が混ざっていた。
“これ、私がどうにかしなきゃいけないやつだ”っていう、あの重たい種類の自覚。
一人暮らしって、自由の代わりに、故障もトラブルも自分に直で来る。
誰かが気づいてくれるわけでも、誰かが手配してくれるわけでもない。
それが自立だって言われたら、たぶんそうなんだけど、私はこの瞬間だけは「自立って、こういうことを言うんだっけ?」って、ぼんやり思った。
そして、誰にも言わなかった本音が、ふっと出てきた。
「こんなことで管理会社に電話するの、なんか負けた気がする」
……ほんと、意味不明なんだけど。
水漏れは負けとか勝ちとかじゃないし、むしろ早めに連絡するほうが賢いのに。
でも、私の中のどこかが、“困ったときに助けを求める”ことを、弱さみたいに扱ってしまう。
それが癖になっているのが怖かった。
② 電話をかけるだけなのに、妙に手が震えた

管理会社の連絡先を探すために、賃貸契約の書類を引っ張り出した。
封筒の角が少しへたっていて、「ここに住み始めてからの時間」が紙の疲れ方でわかるのが、地味に切ない。
電話番号を見つけたのに、すぐにはかけられなかった。
呼び出し音が鳴って、担当者が出て、状況を説明して、訪問日程を調整して、部屋の都合を伝えて――頭の中で手順をなぞるほど、胸がギュッとしてくる。
たぶん私は、電話そのものが苦手なんだと思う。
短いやり取りで、要点をまとめて、相手の反応に合わせて返す。
仕事ではそれなりにやってるのに、生活の場面だと急に「ちゃんとできない人」になる。
それに、もっと嫌な感情があった。
「私の暮らし方が雑だと思われたらどうしよう」
水漏れは設備の問題かもしれないのに、なぜか“私の責任”みたいな気がしてしまう。
シンク下の収納、正直きれいじゃない。
詰め込みすぎて、配管に変な負荷をかけていたら?
掃除をサボったせいで詰まったら?
誰もそんなこと言わないのに、先に自分で自分を責める準備をしてしまう。
「自立女子」って、こういうときも冷静で、さらっと連絡して、部屋も整っていて、笑顔で対応するんだろうな。
私は、といえば、濡れたところを拭きながら眉間にしわを寄せて、なぜか謝罪の言葉まで考えている。
わかる…こういうとき、なぜか“自分が悪い気”になっちゃうんだよね。
結局、深呼吸を二回してから電話をかけた。
呼び出し音が鳴るたびに心臓が一段ずつ上がっていって、「出ないで…」と「早く出て…」が同時に頭の中で踊る。
出た担当者さんは、想像よりずっと淡々としていて、「あ、承知しました」「まずは元栓は触らず、シンク下にタオルを敷いていただいて」と、手順を当たり前のように案内してくれた。
その当たり前が、私には救いだった。
電話を切ったあと、私はしばらくキッチンに立ったまま、力が抜けたみたいに動けなかった。
うまく説明できたか不安で、言い忘れがないか考えて、それでも「ちゃんと連絡した」という事実が、じんわり効いてくる。
まるで、重い荷物を床に降ろしたみたいな感じ。
③ 「自立」の正体が、少しだけ違って見えた
水漏れそのものは、今日のうちに直ったわけじゃない。
訪問は数日先。だから問題はまだそこにある。
なのに、不思議と午前中の気分が、昨日とは違った。
たぶん私は、「自立=一人で何でも処理できること」だと思い込みすぎていた。
でも現実の生活って、もっと細かい部品でできていて、全部を自分の腕力で解決する必要はない。
“システムを使う”とか、“誰かに頼る”とか、“わからないことをわからないままにしない”とか、そういう行動もちゃんと生活の技術で、むしろそれができる人のほうが長く安定する。
今日の私は、
たった一本の電話をかけただけ。
でも、その電話の裏側には、私の中の変なプライドとか、恥ずかしさとか、「ちゃんとして見られたい」っていう見栄とか、いろんな感情が詰まっていた。
それを抱えたままでも、手を動かして、言葉にして、相手に伝えた。
それって、案外“自立”っぽい。
さらにもうひとつ、ささやかな違和感にも気づいた。
私は、困ったときに人に頼ることを「申し訳ない」と感じすぎる。
でも、管理会社の人は仕事として対応してくれていて、そこに私の“申し訳なさ”を過剰に乗せる必要はない。
この「過剰に申し訳なくなる癖」って、たぶん人間関係にも滲んでいる。
相談したいのに遠慮して黙る。
助けてほしいのに「大丈夫」と言ってしまう。
それが積み重なると、勝手に孤立して、勝手に疲れる。
自立って、孤立の別名じゃないはずなのに。
今日の出来事は、そこをちょっとだけズラして見せてくれた。
夕方、帰宅してキッチンの床を見たら、午前中に敷いたタオルが少し湿っていた。
「まだいるね、問題」って苦笑いしながら、でも私は朝ほど沈まなかった。
直ってないのに、心が少し軽いのが、逆に変な感じ。
たぶん私は、“自分が動いた”という手応えが欲しかっただけなのかもしれない。
完璧に解決したいわけじゃなくて、放置している自分が嫌だった。
部屋の明かりをつけて、コートをハンガーにかけて、いつものように適当な夜ごはんを作る。
その途中で、ふと考えた。
今日の私は、自立のために頑張ったんじゃなくて、ただ「困りごとを困りごとのままにしなかった」だけ。
でも、それができた日は、ほんの少しだけ自分の生活に信頼が増える気がする。
ねえ、あなたの“自立”って、どんな形をしてる?
一人で抱え込んでしまう癖、どこかで「それ、そろそろ降ろしていいよ」って言ってあげられてる?
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