サクラックの日記

今日も感じたことを書くとしよう・・・

ひとりで頑張りすぎてたかも?一人暮らしの小さなトラブルが教えてくれた自立女子の本音

「自立女子」って、ひとりで全部できる人のことじゃない

今朝の空は、冬らしく薄いグレーで、ベランダの手すりがやけに冷たく見えた。
目覚ましが鳴る前に一度だけ目が覚めて、布団の中でぬくもりと現実の境目をうろうろして、結局「起きなきゃ」を一口で飲み込むみたいに起き上がる。


キッチンでお湯を沸かして、カップにコーヒーを落として、湯気の向こうに自分の生活がちゃんと続いていることを確認する――この時間だけは、誰に褒められなくても成立する私の小さな儀式。

 

「自立女子」って言葉、たまに胸に刺さる。
自立してます、って胸を張れるほど強くないし、かといって誰かに寄りかかるのも上手じゃない。


それでも一人暮らしの部屋には、私の選択の跡がいろんなところに残っていて、洗いかけのグラスや畳んでない洗濯物さえも、なんだか“私の責任”としてそこにいる。

そんな朝、ほんの些細な出来事が起きた。
いや、些細というか、見て見ぬふりをしていた小さな不具合が、急に「ほら、逃げないで」って顔を出した感じ。

① 変な水音に気づいた瞬間、心が一段沈んだ

朝ごはんの皿を洗おうとして、蛇口をひねったとき、いつもと違う音がした。
シャーッ、じゃなくて、コポ…コポ…みたいな、喉の奥で何かが詰まっているような音。
嫌な予感って、当たるときほど静かにくる。

 

シンク下の収納を開けて、洗剤のストックをどけて、ライトをスマホで照らしたら、排水管のあたりがじっとり濡れていた。
水が滴っているほど派手じゃない。だからこそ厄介で、「気のせい」にできてしまう程度の濡れ方。


でも、濡れてる。確実に。
私はその場で数秒固まって、なぜか最初に思ったのが「うわ、めんどくさ」だった。

 

焦りより先に、面倒くささが出るのが我ながらリアルで、ちょっと情けない。
でもその面倒くささの中には、ちゃんと別の感情が混ざっていた。
“これ、私がどうにかしなきゃいけないやつだ”っていう、あの重たい種類の自覚。

 

一人暮らしって、自由の代わりに、故障もトラブルも自分に直で来る。
誰かが気づいてくれるわけでも、誰かが手配してくれるわけでもない。
それが自立だって言われたら、たぶんそうなんだけど、私はこの瞬間だけは「自立って、こういうことを言うんだっけ?」って、ぼんやり思った。

 

そして、誰にも言わなかった本音が、ふっと出てきた。
「こんなことで管理会社に電話するの、なんか負けた気がする」
……ほんと、意味不明なんだけど。
水漏れは負けとか勝ちとかじゃないし、むしろ早めに連絡するほうが賢いのに。

でも、私の中のどこかが、“困ったときに助けを求める”ことを、弱さみたいに扱ってしまう。


それが癖になっているのが怖かった。

② 電話をかけるだけなのに、妙に手が震えた

管理会社の連絡先を探すために、賃貸契約の書類を引っ張り出した。
封筒の角が少しへたっていて、「ここに住み始めてからの時間」が紙の疲れ方でわかるのが、地味に切ない。

 

電話番号を見つけたのに、すぐにはかけられなかった。
呼び出し音が鳴って、担当者が出て、状況を説明して、訪問日程を調整して、部屋の都合を伝えて――頭の中で手順をなぞるほど、胸がギュッとしてくる。
たぶん私は、電話そのものが苦手なんだと思う。


短いやり取りで、要点をまとめて、相手の反応に合わせて返す。
仕事ではそれなりにやってるのに、生活の場面だと急に「ちゃんとできない人」になる。

 

それに、もっと嫌な感情があった。
「私の暮らし方が雑だと思われたらどうしよう」
水漏れは設備の問題かもしれないのに、なぜか“私の責任”みたいな気がしてしまう。
シンク下の収納、正直きれいじゃない。


詰め込みすぎて、配管に変な負荷をかけていたら?
掃除をサボったせいで詰まったら?
誰もそんなこと言わないのに、先に自分で自分を責める準備をしてしまう。

 

「自立女子」って、こういうときも冷静で、さらっと連絡して、部屋も整っていて、笑顔で対応するんだろうな。
私は、といえば、濡れたところを拭きながら眉間にしわを寄せて、なぜか謝罪の言葉まで考えている。


わかる…こういうとき、なぜか“自分が悪い気”になっちゃうんだよね。

結局、深呼吸を二回してから電話をかけた。
呼び出し音が鳴るたびに心臓が一段ずつ上がっていって、「出ないで…」と「早く出て…」が同時に頭の中で踊る。


出た担当者さんは、想像よりずっと淡々としていて、「あ、承知しました」「まずは元栓は触らず、シンク下にタオルを敷いていただいて」と、手順を当たり前のように案内してくれた。


その当たり前が、私には救いだった。

電話を切ったあと、私はしばらくキッチンに立ったまま、力が抜けたみたいに動けなかった。


うまく説明できたか不安で、言い忘れがないか考えて、それでも「ちゃんと連絡した」という事実が、じんわり効いてくる。
まるで、重い荷物を床に降ろしたみたいな感じ。

③ 「自立」の正体が、少しだけ違って見えた

水漏れそのものは、今日のうちに直ったわけじゃない。
訪問は数日先。だから問題はまだそこにある。
なのに、不思議と午前中の気分が、昨日とは違った。

 

たぶん私は、「自立=一人で何でも処理できること」だと思い込みすぎていた。
でも現実の生活って、もっと細かい部品でできていて、全部を自分の腕力で解決する必要はない。


“システムを使う”とか、“誰かに頼る”とか、“わからないことをわからないままにしない”とか、そういう行動もちゃんと生活の技術で、むしろそれができる人のほうが長く安定する。

今日の私は、

たった一本の電話をかけただけ。
でも、その電話の裏側には、私の中の変なプライドとか、恥ずかしさとか、「ちゃんとして見られたい」っていう見栄とか、いろんな感情が詰まっていた。
それを抱えたままでも、手を動かして、言葉にして、相手に伝えた。
それって、案外“自立”っぽい。

 

さらにもうひとつ、ささやかな違和感にも気づいた。
私は、困ったときに人に頼ることを「申し訳ない」と感じすぎる。
でも、管理会社の人は仕事として対応してくれていて、そこに私の“申し訳なさ”を過剰に乗せる必要はない。


この「過剰に申し訳なくなる癖」って、たぶん人間関係にも滲んでいる。
相談したいのに遠慮して黙る。
助けてほしいのに「大丈夫」と言ってしまう。
それが積み重なると、勝手に孤立して、勝手に疲れる。

 

自立って、孤立の別名じゃないはずなのに。
今日の出来事は、そこをちょっとだけズラして見せてくれた。

 

夕方、帰宅してキッチンの床を見たら、午前中に敷いたタオルが少し湿っていた。
「まだいるね、問題」って苦笑いしながら、でも私は朝ほど沈まなかった。
直ってないのに、心が少し軽いのが、逆に変な感じ。


たぶん私は、“自分が動いた”という手応えが欲しかっただけなのかもしれない。
完璧に解決したいわけじゃなくて、放置している自分が嫌だった。

 

部屋の明かりをつけて、コートをハンガーにかけて、いつものように適当な夜ごはんを作る。


その途中で、ふと考えた。
今日の私は、自立のために頑張ったんじゃなくて、ただ「困りごとを困りごとのままにしなかった」だけ。


でも、それができた日は、ほんの少しだけ自分の生活に信頼が増える気がする。

ねえ、あなたの“自立”って、どんな形をしてる?
一人で抱え込んでしまう癖、どこかで「それ、そろそろ降ろしていいよ」って言ってあげられてる?

 

【ふわ姫】分け目が気になり始めた私が選んだ、頭皮から整える女性用美容液という新習慣

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細さより安心感がほしかった私が、階段で気づいた“歩きやすい脚”という新しい基準

「美脚」って、結局どんな脚なんだろう——目標を決める前に、私が今日ひとつだけ確認したこと

今朝は、冬の空気がやけに乾いていて、部屋のカーテンを開けたらベランダの手すりが冷たそうに光っていました。


一人暮らしの部屋って、誰もいないぶん静かで、ちょっとした物音が「今日の機嫌」を決めたりする。湯気の立つマグカップを両手で包みながら、私はなぜか「脚」のことを考えていました。美脚って言葉、ずっと近くにあるのに、いざ自分のこととなると、ちゃんと言葉にしたことがない気がして。

 

“細い脚になりたい”とか、“まっすぐな脚がいい”とか、そういうフレーズはよく聞くし、私も今まで何となくそれで済ませてきた。


でも今日のテーマはそこじゃなくて、「美脚とはどんな脚? 自分はどんな脚になりたい? まず悩みをクリアにして、目標を決めて、必要な対策を探る」という話。言い換えるなら、ふわっとした憧れを、生活の中で扱える形にするってこと。

 

——その“扱える形”にする前に、私には先にやることがありました。
それは、脚を「見た目」でジャッジする前に、脚が毎日どんな働きをしてくれているかを、ちゃんと感じ直すこと。

 

たぶん今日、私はそこを避けていたんだと思う。
だって、脚を“見た目”だけで語るほうが、簡単だから。簡単で、残酷で、すぐ結論が出るから。

 

エスカレーターじゃなく、階段を選んだだけなのに

午前中、ちょっとした用事で外に出て、駅の改札を抜けました。いつもなら何も考えずにエスカレーターへ流れるところを、今日はなぜか階段のほうへ。


ほんとに、ただそれだけ。意識高い行動でも、健康のためでもなくて、「エスカレーター待つの、だるいな」っていう、あの雑な理由。

 

で、階段を上っている途中、ふと脚が重く感じました。


重いというか、“上がってるのに、心が置いていかれる”みたいな感覚。息が切れるほどじゃないのに、体の中で何かが遅れてついてくる感じがする。

その瞬間、私の頭に浮かんだのは、ひとつの言葉でした。
「私の脚、信用できないかも」って。

誰にも言ってない本音。


だって、変だよね。脚って、あるのが当たり前すぎて、信用するとかしないとか、普段考えない。


でも私はたしかに思ったんです。「この先、ちゃんと歩けるんだろうか」って。

 

仕事、将来、人間関係、自分磨き。いろんな悩みが絡まって、心が忙しい時って、体のことを“後回し”にしがちで。


それでも体は黙って付き合ってくれるから、余計に雑に扱ってしまう。


そして、ほんの少しの階段で「重い」と感じた途端、急に怖くなる。自分のものなのに、自分の体が他人みたいに思えてくる。

ここで、あの一文。
わかる…って、言ってほしい。
「普段は気にしないのに、ふとした瞬間に“このままで大丈夫?”って不安が襲ってくるやつ」。あれ、地味に心を削ってくる。

美脚って「細い脚」じゃなくて、「困りごとが少ない脚」なのかもしれない

美脚って、結局なんだろう。
雑誌やSNSの中では、つるんとして、長くて、まっすぐで、光を反射して、なんなら風が吹いたら軽やかに揺れそうな脚。


でも、生活していると、脚はもっと現実的な仕事をしている。

・朝、寝ぼけた体を立たせる
・通勤で人波をすり抜ける
・急いで乗り換える
・重い荷物を持って帰る
・雨の日に滑らないように踏ん張る
・夜、コンビニまで歩く
・家に着いたら、床に散らばったものを避けながら動く(これは私の部屋だけかもしれないけど)

つまり脚って、“見せるため”というより、“生き延びるため”の道具なんだよね。


なのに、私は脚を見るとき、いつも「見た目の正解」に寄せて考えてしまう。太さ、形、長さ、真っすぐさ。


そこで今日、階段の途中で出てきた違和感が、じわじわ効いてきました。

美脚って、「他人が美しいと言う脚」じゃなくて、私の困りごとを減らしてくれる脚なのでは?

ここ、たぶん今まであまり触れてこなかった視点かもしれない。
“憧れの脚”っていうより、“生活で困らない脚”
これって地味だけど、私にとっては切実。

だって、「脚が信用できないかも」って思った瞬間の怖さは、見た目の問題じゃなかった。
私が欲しかったのは、パンツのサイズがどうこうじゃなくて、安心して移動できる自分だった。

私の脚の「悩み」は、見た目じゃなくて“感覚”だった

ここからが今日のテーマの核心。「悩みをクリアにする」。
美脚を目指す前に、まず“何が嫌なのか”をハッキリさせる。これ、当たり前のようで難しい。


なぜなら、悩みってだいたい「ぼんやりした不満」とセットでくっついてくるから。

私は今日、帰り道にメモアプリを開いて、脚に関する“モヤモヤ”を箇条書きにしてみました。
美容の話を避けたいので、ここでは“見た目を盛る方向”じゃなく、生活の中の困りごとだけを書く。

  • 階段や坂で、脚が急に重くなる瞬間がある

  • 長時間座っていると、立ち上がるとき脚が自分のものじゃない感じがする

  • 靴を選ぶとき、「可愛い」より先に「疲れない」を探してしまい、ちょっと自分がしょぼく感じる

  • 速く歩くと、歩幅がバラついて気持ちが落ち着かない

  • 体が疲れている日に限って、歩き方が雑になって、さらに疲れる

……これを書いて気づいたんです。


私の悩み、見た目の欠点じゃなくて、感覚の不安定さだった。

 

脚が太いとか細いとか、そういう評価軸じゃなくて、
「今日はちゃんと動いてくれるかな」
「このままの生活で、脚は持つかな」
そういう、静かな不安

 

これって仕事や将来の悩みに似てる。
目に見える成績や肩書きよりも、「続けられるか」「崩れないか」が怖い感じ。
脚も同じで、見た目より、安定して日々を運べることが、私にとっての“美脚”の条件だった。

私が今日決めたのは「見た目」じゃなく「行動の基準」

 

悩みがクリアになったら、次は目標。
ここでよくやりがちなのが、「細くなる」「長く見える」みたいな、ふわっとした理想を掲げること。


でも今日の私は、そこに戻りたくなかった。戻ったらたぶん、また同じところで足踏みする。

 

だから、目標を“脚の見た目”じゃなく、脚を扱う自分の行動に置きました。

私が今日決めた目標はこれです。
「脚が不安な日に、脚を責めるんじゃなくて、脚の扱い方を変える」

言うと地味。ほんと地味。


でも私にとっては、かなり具体的で、生活に落とし込みやすい。

例えば——
階段で脚が重いと感じたら、「私の脚って終わってる…」って脳内で罵倒する代わりに、

  • 一段だけ歩幅を小さくする

  • 手すりに触れる(触れるだけでも安心する)

  • 速度を落とす

  • 呼吸を一回整える

そうやって、脚を“矯正”するんじゃなく、守る

 

たぶん私、今まで脚に対して厳しかった。
厳しさって、努力に見えるから。頑張ってる気がするから。
でも、厳しさの正体って「不安の処理」だったりする。
不安だから責める。不安だから正解に寄せる。不安だから急ぐ。

 

今日のささやかな変化は、そこに気づいたこと。
脚の問題というより、「不安に追い立てられる癖」が脚に出ていただけなのかもしれない、って。

必要な対策を探る:私に必要だったのは“根性”じゃなく“確認”だった

「対策」と聞くと、すぐに何かを買うとか、何かを始めるとか、劇的なことを思い浮かべる。


でも今日は、そういう方向に行きたくない。美容やダイエットの話にも寄せたくない。
私が探したかったのは、もっと小さくて、生活の中でできること。

それで私が今日選んだ対策は、ほんと拍子抜けするくらいシンプルです。

 

「脚の状態を、毎日ひとつだけ確認する」

確認って、地味だけど強い。
不安って、確認不足のところに住み着くから。

私は夜、部屋の照明を少し落として、靴下を脱いで、床に座りました。
脚を眺めるためじゃなくて、脚の“感覚”を確かめるために。


足首を回して、ふくらはぎに触れて、膝を軽く曲げ伸ばしして、痛いところがないか、左右で違いがないか。
ほんの1分くらい。

そのとき、またひとつ本音が浮かびました。
「私、脚のこと、ちゃんと見たくなかったんだな」って。
見たくないというより、“向き合うと不安になるから避けてた”。
仕事や将来のことでも、よくやるやつ。


怖いから、見ない。見ないから、さらに怖い。

 

だから私に必要だった対策は、根性でもストイックさでもなく、
「大丈夫かどうかを確認する」っていう、当たり前の行為だった。

そして、確認して分かったこともある。


今日の脚は、重かったけど、ちゃんと動いてくれていた。
不安が先に立っていただけで、脚は私を裏切っていなかった。


裏切っていたのは、たぶん私のほうで、脚を“結果で採点”しようとしていた。

ここまで書いて、ようやく最初の問いに戻れます。
美脚って、どんな脚?

たぶんそれは、誰かの基準で完成した脚じゃない。
自分の悩みが分かっていて、目標が言葉になっていて、必要な対策を“暮らしの中で続けられる”脚


その結果として、見た目が整っていくことはあるかもしれないけど、順番はたぶん逆じゃない。

 

私は今日、階段で脚が重くなったとき、「信用できないかも」と思ってしまった。
でもその本音を、無かったことにしないで拾い上げたから、少しだけ視点が変わった。
脚を“評価されるもの”から、“一緒に暮らす相棒”に戻す、みたいな変化。

 

——あなたは、どんな脚になりたいですか。
そしてその答えは、誰かの写真じゃなく、今日のあなたの生活の中にちゃんとありますか。

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肌が揺れる日は、内側を疑ってみる。発芽の恵を知ってから私が焦らなくなった理由

今日は「発芽の恵」について、私が実際に“インナーケア迷子”だった時期の気持ちもまるっと乗せて、ブログとして仕上げます。

 

スキンケアを頑張っても、なんだか肌がゆらぐ。食事も気をつけたいけど、仕事終わりはコンビニの光がまぶしい。そんな日が続くと、「私、外側だけじゃ足りないのかも…」ってふと立ち止まる瞬間があるんですよね。


私も30代に入ってから、睡眠・食事・ストレスの全部が肌に出る感覚が強くなりました。そこで気になったのが、発芽×発酵という言葉がかわいくて頼もしい「発芽の恵」。もちろん健康食品なので魔法みたいな変化を約束するものじゃないけれど、“毎日を整えるための選択肢”として知っておくと、心がちょっと軽くなります。今日はその理由を、私の目線で丁寧にまとめます。

発芽の恵って結局なに?「発芽×発酵」をやさしくほどく

まずは前提:健康食品は「体を整える習慣」の相棒

「発芽の恵」は、発芽させたハトムギを中心に、発酵という工程も取り入れた“飲む(または摂る)インナーケア”系のアイテムとして知られています。
ここで大事なのは、医薬品ではなく健康食品だということ。だから私は、こういうものを選ぶ時にいつも自分に言い聞かせています。

  • 体調の土台は、睡眠・食事・運動・ストレスで決まる

  • 健康食品は、その土台づくりを「続けやすく」してくれる脇役

  • 合う合わないは人それぞれで、感じ方にも個人差がある

この前提を持っていると、期待しすぎてガッカリ…みたいな落差が減るし、逆に「私にとっては続けやすいからOK」と、やさしく付き合えます。

発芽ってなにがうれしいの?「芽が出る前」の底力

発芽は、ざっくり言うと“眠っていた種が起きる瞬間”。その過程で成分のバランスが変化し、栄養が利用されやすい形に近づくと言われます。
ハトムギは昔から食として親しまれてきた素材で、毎日の食生活に取り入れやすいのが魅力。私は「派手さはないけど、まじめに寄り添ってくれる子」みたいな印象です。
ここで私の私見をはっきり言うと、30代のインナーケアは“足す”より“整える”が勝ちだと思っています。美容って、つい新しいアイテムを増やしたくなるけど、増やすほど管理コストが上がるんですよね。疲れていると、続けられない。だから、素材として安心感があって、ルーティンに溶け込みやすい「発芽の恵」みたいな存在は、忙しい独身女性の味方になりやすいです。(※感じ方には個人差があります)

発酵ってなにがうれしいの?「腸のごきげん」と仲良くする

発酵は、微生物の働きで成分が変化していくプロセス。発酵食品が生活に根づいている日本では、味噌やヨーグルト、ぬか漬けみたいに“日常の整え役”として身近ですよね。
「発芽の恵」の魅力は、発芽という発想に、発酵の要素も掛け合わせているところ。私は腸の調子が気分に直結するタイプなので、こういう“内側のリズム”を意識できるアイテムは好きです。

【表①:私が「発芽×発酵」に期待するポイント(主観)】

視点 うれしいと感じる理由 私の現実的な落としどころ
続けやすさ 生活に入れやすいと習慣化しやすい 完璧を目指さず“できた日を褒める”
体のリズム 食生活の意識が上がる 食事が荒れた日は“戻すきっかけ”にする
メンタル 自分を大事にしてる感が出る 自己否定の代わりに“整える選択”を増やす

スキンケアに課金しても、気分が上がらない夜があった

少し前、私がまさに「外側ケアだけでは追いつかないかも」と思ったのは、残業続きの週でした。帰宅してメイクを落とす気力がなくて、なのに肌はくすんで見える。鏡の前で「高い美容液を買っても、私の生活が荒れてたら意味なくない?」って、急に冷めた目になったんです。
その瞬間、私は“美容の問題”じゃなくて“暮らしの問題”なんだと気づきました。そこから、睡眠を15分早く取る、朝に白湯を飲む、夜はお味噌汁だけでも飲む…みたいな小さな修正を始めて、インナーケアにも目が向きました。「発芽の恵」を知ったのも、その流れの中。劇的な変化を求めるんじゃなくて、「今日の私を立て直す」ための小さな道具が欲しかったんだと思います。
あなたも、スキンケアを頑張っているのに心が追いつかない夜、ありませんか?

私が続けるためにやってること:飲み方・タイミング・ゆるルール

飲み方は“映え”より“続く”が正解

「発芽の恵」みたいなインナーケアは、続けてこそ意味がある…と私は思っています。だから、飲み方もきれいに整えすぎません。

  • そのまま飲む(忙しい日はこれで十分)

  • 水や炭酸で割る(口当たりを変えたい時)

  • ヨーグルトに混ぜる(朝のルーティンに寄せる)

  • スムージーに足す(休日のごほうび感)

私は“やる気がある日用”の飲み方を用意すると、やる気がない日に全部やめてしまうタイプ。なので、基本は「そのまま」か「水で割る」で固定しています。

タイミングは「気分」と「生活」に合わせていい

よく「朝がいい?夜がいい?」って聞かれるけど、私は正直どっちでもいい派です。大事なのは、毎日どこかに差し込めること。
私の場合は、次のどれかに当てはめています。

  • 朝、白湯のあと(“今日を整える”スイッチ)

  • 昼、仕事の前の深呼吸とセット(“焦りを落とす”)

  • 夜、歯磨きの前(“やっと終わった”の区切り)

ここで私の私見を入れると、30代の忙しさって「時間がない」より「気力がない」なんですよね。
ちなみに私は、外食が続いた週ほど“朝の一杯”を優先します。夜に反省会をすると気持ちが沈みやすいので、朝にリセットする方が私には合っていました。こういう「自分の機嫌の取り方」を見つけるのが、インナーケアのいちばんの収穫かもしれません。
だからタイミングを厳しく決めると、途端に続かない。私は“生活に寄り添う甘さ”を自分に許すようにしています。続けられた日を増やしたいなら、ルールはゆるい方が勝ちです。

続けるコツは「完璧主義を捨てる」こと(これがいちばん難しい)

ここ、声を大にして言いたいんですけど、インナーケアって「一日忘れたら終わり」じゃないです。忘れた日は、忘れた自分を責めない。それだけで次の日に戻れます。
私は自分のために、こんな“ゆるルール”を作っています。

  • 週に1回でも「続けられてる」とカウントする

  • 体調が微妙な日は無理しない

  • 食事と睡眠が荒れてる時ほど“戻す合図”として使う

  • 迷ったら、まず水分と睡眠を優先する

健康食品は、体調管理の全部を背負わせるものじゃない。だからこそ、優しい距離感で付き合うのが長続きします。

【表②:私の“続ける工夫”チェック表】

つまずきポイント ありがちな私の言い訳 立て直しの一手
忙しくて忘れる 「今日ムリ…」 置き場所を目につく所に固定
味に飽きる 「また同じ…」 炭酸割り・ヨーグルトに逃げる
期待しすぎる 「変化ないじゃん」 生活習慣のメモをつけて俯瞰する
メンタルが落ちる 「私ってだめ」 “整える選択をした自分”を褒める

(エピソード)コンビニ飯の翌朝、私は“戻る場所”が欲しかった

独身あるあるだと思うんですけど、仕事で疲れて帰って、気づいたら夕飯が揚げ物とスイーツになってる日、ありますよね。私はあります。しかも「今日はがんばったからいいよね」って言いながら、心のどこかで罪悪感も抱えてる。
そんな翌朝、鏡の前で顔色がどんよりして見えて、「あー…やっちゃった」って小さく落ち込むんです。でも、そこで完璧を目指して急にサラダ生活にしようとすると、だいたい三日で折れる。


だから私は、“戻る場所”として、白湯と、朝の軽い一杯(こういう時に「発芽の恵」みたいな習慣)があると気持ちが整います。別にそれだけで何かが変わるって断言はできないけど、「私はちゃんと戻れる」って思えるのが救い。あなたにも、そんな“戻る場所”ありますか?

メリット・デメリットを正直に:私の買い方と注意点

私が感じたメリット:生活を整える意識が上がる

「発芽の恵」を取り入れてよかった点を、私の感想として正直にまとめます。(※感じ方には個人差があります)

  • “内側から整える”意識が自然に上がる

  • 食事や睡眠を雑にしすぎないブレーキになる

  • ルーティンがあると、メンタルが落ちる日に踏ん張れる

  • 何かをやめるより、ひとつ足す方がラクな時がある

私の私見として、インナーケアの価値は「目に見える結果」だけじゃなくて、「私を丁寧に扱う感覚」を取り戻せるところにあると思っています。忙しい日々って、自分の扱いが雑になりやすい。そこに小さく“丁寧”を足すと、不思議と他の習慣も連鎖して整っていきます。

デメリット(注意点):合わない可能性・続けにくさ・コスト感

どんな健康食品にも言えるけど、合う合わないはあります。だからデメリットも隠さず書きます。

  • すぐに分かりやすい変化を期待すると、ギャップが出やすい

  • 味や匂いの好みが合わないと続けにくい

  • 生活習慣が荒れたままだと、実感が持ちにくい

  • 続ける前提だと、コストをどう捉えるかが大事

私は「これさえあればOK」みたいな言い方が苦手です。むしろ、健康食品は“生活の補助”。だからこそ、自分の予算の中で続けられる範囲に置くのが正解だと思います。

こんな人には向いてる/向いてない(私の主観)

最後に、迷っている人向けに私の主観で整理します。

向いてるかも:

  • 外側ケアだけでは不安で、内側ケアも始めたい

  • 忙しくても続けられる“小さな習慣”が欲しい

  • 腸のリズムや食生活を整えるきっかけが欲しい

  • 自分を責めるより、整える方向に持っていきたい

慎重に考えてもいいかも:

  • 即効性だけを求めている

  • 生活が極端に不規則で、まず睡眠が足りていない

  • 体調に不安があり、医師に相談が必要な状況

※持病がある方、妊娠中・授乳中の方、服薬中の方は、原材料の確認や医療者への相談が安心です。

“自分を責めないケア”に出会った日、ちょっと泣きました

ある休日、私はいつものように寝坊して、洗濯物は山、部屋は散らかり、スマホの通知だけが元気で…「私ってほんとダメだな」って自己嫌悪モードに入っていました。
でも、その日ふと、台所でコップを用意して「発芽の恵」を飲んだんです。たったそれだけなのに、「私、今日も自分のことを見捨ててない」って思えました。大げさに聞こえるかもしれないけど、誰にも褒められない日でも、自分が自分にしてあげられることってあるんですよね。


その瞬間、胸の奥がふわっとほどけて、涙がちょっとだけ出ました。私たちって、頑張り屋さんほど自分に厳しいから。だからこそ、“責めないケア”を持っていると、人生が静かに変わっていくんだと思います。

 

――おわりに
私が「発芽の恵」を語るとき、結局のところ一番伝えたいのは“自分を雑に扱わない”っていう感覚です。30代になると、仕事も人間関係も、予定表みたいに積み上がっていきます。恋も美容も、うまくいく日といかない日があって当たり前なのに、私たちはつい「できてない部分」だけを数えてしまうんですよね。


でも、コップ一杯の選択で「今日は戻れた」と思える日がある。私はその小ささに救われました。以前、体調がいまいちで外に出るのも億劫だった日に、窓を開けて冷たい空気を吸いながら一杯飲んで、ふっと涙が出たことがあります。誰かに何かをしてもらったわけじゃないのに、“私が私の味方でいる”ってだけで、心が温かくなったんです。


発芽の恵は、派手な約束をするものではありません。だからこそ、続けられる範囲で、あなたの生活にそっと置いてみてください。もし今日がしんどい日なら、「まず一杯」だけでも十分です。あなたの毎日が、少しずつ、やさしく整っていきますように。

最後に、私が自分に約束している“ごきげん維持の3つ”を置いておきます。

  • 寝不足の日は、まず湯船か温かい飲み物

  • 食事が乱れたら、翌朝に「戻す一手」を作る

  • 自分を責めそうになったら、「今日できたこと」を1つだけ数える
    これだけでも、明日の顔つきが少し変わります。あなたも自分のペースで、ゆっくりで大丈夫です。

 

 

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昔は平気だったはずなのに、夜更かしとヒールで心まで疲れてしまった帰り道の話

徹夜も濃いメイクも平気だった私が、人付き合いの後に静かに消耗する理由

駅前の空は、冬の午後みたいに薄くて、ビルのガラスだけがやけに光っていました。待ち合わせの場所に向かう足元が、いつもより少しだけ遅い。理由は単純で、ヒールを履いてきてしまったから。

昔は「ヒール=戦闘服」みたいに思っていて、背筋が伸びる感じも好きだったのに、今日は駅の階段を上るだけで、ふくらはぎが「え、まだやるの?」って顔をしている。

 

改札を抜ける前にスマホの画面を見たら、友だちから「今日、もう一軒いける?」のスタンプ。かわいい。かわいいんだけど、その“もう一軒”が、私の中では小さな山みたいに立ち上がってくる。夜って、以前は無限に伸びるものだった。予定が増えるほど、私は“ちゃんとしてる人”に近づける気がして、むしろ嬉しかった。

 

でも最近、予定が増えるほど、私の体のどこかが静かに退社の準備を始める。心が早めに電気を消したがっている。別に誰が悪いわけでもない。むしろ、好きな人たちだ。好きだからこそ、ちゃんと笑いたいし、ちゃんと返したいし、ちゃんと相手の話を聞きたい。だから余計に、体力の残量が気になる。

 

昔は徹夜もできた。大学のレポート、推しの配信、飲み会の二次会、三次会。眠気の向こう側に、なぜか元気があるような気がしていた。「寝なかった」っていう事実が、私の頑張りの証明になるみたいで、ちょっと誇らしかった。

 

でも今は、たった一晩の寝不足が、翌日の顔に出る。目の奥が熱くて、眉間が無意識に険しくなる。おまけに、夕方の集中力がすとんと落ちる。睡眠って、気合いで削れる“余白”じゃなくて、体の修復や回復のために必要な時間なんだ、と最近やっと腑に落ちてきました。

 

睡眠には脳や体の疲れをとり、回復に関わる役割がある、という説明を読むと、徹夜で得していた気分が、だいぶ幻想だった気もします。

 

それでも私は、たまに「昔の私なら大丈夫だったのに」と思う。ここが、いちばん自分に意地悪なところだ。

過去の自分を、いつも“最強の比較対象”にしてしまう。あの頃の私は、たぶん疲れていても疲れていることを認めなかっただけで、元気だったわけじゃないのに。

 

ヒールもそう。履いた瞬間、脚のラインが少しだけきれいに見える気がして、鏡の前でテンションが上がる。

だけど、歩き始めて五分後には、足先から「これ、いつまで?」という連絡が来る。ハイヒールはバランスの取り方が変わって腰や膝に負担がかかりやすい、といった指摘もあって、私の“しんどい”は気分の問題だけじゃないのかもしれない。

 

「じゃあ履かなきゃいいじゃん」って、正しい答えは簡単に出せる。でも、履きたい日がある。

気合いを入れたい日、少しだけ背伸びして見せたい日、自分の“いつも”を変えたい日。私にとってヒールは、ただの靴じゃなくて、気持ちのスイッチでもある。

 

濃いメイクも同じ。昔は、アイラインを引くほど強くなれる気がした。まつ毛を盛るほど、今日の自分が好きになれる気がした。メイクって、顔を作る作業というより、心を整える儀式だった。だけど最近、盛るほどに“落とす作業”が重くなる。

帰宅して、鏡の前でクレンジングを始めるとき、私は一日の疲れを指先でなぞっているみたいな気持ちになる。

 

落ちにくいアイメイクをこすった瞬間、「明日の私に、これ残るやつだ」と思う。クレンジングの摩擦が色素沈着の要因になりうる、という話を見かけてから、私は余計にビクビクするようになりました。


“きれいに見せたい”と“肌をいたわりたい”が、同じ場所で小さくぶつかっている。

そして、人付き合い。これは、いちばん言いづらい。だって、私は人が好きだ。嫌いになったわけじゃない。

むしろ、昔より人の優しさがわかるようになった気さえする。でも、会った後にどっと疲れることがある。帰り道、スマホのメモに「楽しかった」って打ちながら、心の奥で「疲れた」も同時に打っている。

 

社会的な場面で気を遣い続けると疲労がたまりやすい、という“社会的疲労”の説明を読んだとき、私は少しだけ救われた気がしました。疲れるのは、私の性格が悪いからじゃなくて、“気を配る能力”が働いているからかもしれない、と。


もちろん、記事は医療的な文脈も含むから、全部を自分に当てはめるのは違うのかもしれない。でも「疲れるのはおかしいことじゃない」と言われたようで、胸の真ん中がふっと軽くなった。

 

それでも、矛盾は消えない。疲れるなら会わなければいい、と言い切れない。会いたい。話したい。笑いたい。

だけど、翌日の自分を守りたい。昔の私は、翌日なんて気にしなかった。というより、翌日が来ることを、ちゃんと想像していなかった。

ここ最近、私は「体力が落ちた」って言い方を、少しだけ疑っている。体力が落ちたんじゃなくて、体力の使い道が変わっただけじゃないか。

昔は“外向き”に使っていたエネルギーを、今は“内側の生活”にも分配している。部屋を整えること、ちゃんと眠ること、肌を荒らさないこと、無理に盛り上がらないこと。どれも、誰かに見せるためじゃないのに、ちゃんと自分のために必要なこと。

 

昔の私は、メイクで自分を強くした。今の私は、落とすときに自分を守りたい。昔の私は、ヒールで背を高くした。今の私は、足を痛めないで帰宅したい。

 

昔の私は、徹夜で“頑張ってる感”を作った。今の私は、眠ることで明日の機嫌を作りたい。昔の私は、予定を詰めるほど安心した。今の私は、予定の余白で深呼吸したい。

それでも「昔の私」を捨てきれない夜

待ち合わせに着いたとき、友だちは私の靴を見て「今日、気合い入ってるじゃん」と笑いました。その一言で、私は少しだけ報われた気がする。ほらね、ヒールはスイッチだ。私はまだ、気合いを入れたい日がある。ちゃんと可愛く見られたい日がある。昔の自分を、完全には卒業したくない。

 

でも、その場で笑って、食べて、話して、帰りの電車で座れた瞬間に、足首のあたりがじんわり主張してくる。メイクが崩れないか気にして、スマホのカメラを内側にして確認する。ちょっとだけくすんで見えて、私は「ちゃんとしてる顔」を作るのをやめたくなる。


この“やめたくなる”が、最近の私の合図だ。昔は、やめたくなる前に次の予定へ行けた。今は、やめたくなる前に帰りたくなる。

 

帰宅して、玄関の靴を脱ぐ瞬間が、いちばん正直だと思う。ヒールを脱いだ足が床に触れて、「ふう」と音がする。今日はこれ以上、誰にも頑張らなくていい。そう思ったら、同時に少しだけ寂しい。頑張ることでしか保てなかった自分の輪郭が、ゆるむから。

 

お風呂の前にクレンジングを手に取る。メイクを落としながら、私は今日の会話の中で言えなかった言葉を思い出す。疲れていた。楽しかった。もっと話したかった。早く帰りたかった。


全部、同じ箱に入っている。矛盾しているのに、どれも本当だ。

 

たぶん私は、昔の自分が好きだ。無理ができた自分。夜を延ばせた自分。勢いで笑えた自分。だから、その自分が遠くなると、置いていかれたみたいで悲しい。


でも同時に、今の自分も守りたい。眠った翌朝の、肌の落ち着き。ヒールじゃない靴で歩ける軽さ。誰にも会わない夜の静けさ。そういうものを好きになってしまった。

 

「しんどくなった」って、衰えの話みたいに言われがちだけど、もしかしたらこれは、私が自分の限界をやっと信じ始めたってことなのかもしれない。限界って、怖い言葉に見えるけど、境界線でもある。ここから先は、無理しないでいい、っていう。

 

それでも私は、またヒールを履く日があると思う。濃いメイクをする日もあると思う。夜更かしをする日も、誰かと長く話す日も、きっとある。


そのたびに私は「昔は平気だったのに」と思って、少し落ち込むのかもしれない。でも、落ち込んだあとで、ほんの少しだけ問い直せたらいい。

 

布団に入ってからも、スマホを触りたくなる夜がある。昔みたいに、眠い目をこすりながらタイムラインを追って、「まだいける」と自分に言い聞かせる。だけど最近は、そういう夜に限って、翌朝の自分がいちばん不機嫌だ。寝不足が続くと集中力や判断力が落ちやすい、という“睡眠負債”の説明を読んだとき、私は「それ、私の月曜だ」と思ってしまった。


予定をこなすために夜を削るのに、夜を削ったせいで予定が雑になる。努力が努力を邪魔している感じがして、そこがいちばん悔しい。

 

それに、しんどさって、派手じゃない。骨折みたいにわかりやすくない。病名がつくほどでもない。だからこそ、私はつい無視してしまう。「これくらい普通」「みんなやってる」と言って、じわじわ減っていく電池を、最後まで使い切ってからようやく気づく。


最近は、電池が減っていることを“早めに認める”練習をしている。帰り道にヒールを脱いでフラットに履き替える勇気。メイクを薄くして、落とす作業を軽くする工夫。会う前から「今日は一次会で帰るかも」と自分に許可を出しておくこと。

全部、すごく小さい。でも、小さいから続く。小さいから、罪悪感も小さい。

昔の私が平気だったのは、私が強かったから?
それとも、弱さに気づかなかったから?
今の私がしんどいのは、私が弱くなったから?
それとも、ちゃんと自分の声を聞けるようになったから?

答えは、まだ決めない。決めた途端、どちらかの自分を否定してしまいそうだから。
今日の私は、帰宅して、ヒールを脱いで、メイクを落として、少し早めに布団に入る。明日、また元気に人を好きでいられるように。

最後に、照明を落とした部屋で思う。
“昔は平気だった”の向こう側に、今の私の暮らしがちゃんと続いていくなら、それでいい。

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誰にも言えない気持ちを抱えたまま開いた、出会いサービスとブログ収益の境界線

誰にも言わなかった、その夜の静けさ

夜の9時を少し回ったころ。
キッチンの蛍光灯だけをつけて、シンクにもたれかかりながら、冷めかけたハーブティーを飲んでいた。外は静かで、救急車の音も聞こえない。洗濯機が回り終わったあとに残る、あの妙な静寂。

今日は、なんだかうまくいかなかった日だった。
仕事が失敗したわけでも、誰かと喧嘩したわけでもない。でも、ずっと小さな砂粒が靴の中に入っているみたいな感覚が抜けなくて、そのまま夜になってしまった。

スマホをテーブルに置いたまま、何度も手を伸ばしてはやめて。
結局また、画面を覗き込んでしまった。

そこに表示されていたのは、最近ずっと考えていた「華の会メール アフィリエイト」の管理画面だった。

「ちゃんとやれば、うまくいくはず」だったはずなのに

ブログを書き始めてから、私は何度も「これなら自分にも合いそう」と思えるサービスに出会ってきた。
自分が実際に悩んできたこと。
年齢のこと、ひとり暮らしの夜の長さ、人に言えない不安。

華の会メールも、その延長線上にあった。

「必要としている人は、きっといる」
「私と同じように、誰にも言えずに登録画面を開いている人がいるかもしれない」

そう思って、丁寧に言葉を選んで記事を書いた。
煽らないように。期待させすぎないように。
それでも、少しだけ背中を押せるように。

でも、その日の成果は、ゼロだった。

クリックも、登録も、何も起きなかった。
管理画面の数字は、昨日とまったく同じまま。

「あ、今日はダメな日だったんだな」
そう思えればよかったのに、なぜか胸の奥がざわついた。

たぶん私は、数字そのものよりも、
“誰にも届かなかったかもしれない” という感覚に、引っかかっていたんだと思う。

「役に立たなかった言葉」だったのかもしれない、という疑い

夜中に残った、消しきれない違和感

布団に入ってからも、スマホを手放せなかった。
画面を閉じればいいのに、なぜかまた自分の記事を読み返してしまう。

誤字はない。
言いすぎてもいない。
無理な誘導もしていない。

それなのに、
「これ、本当に誰かの夜に寄り添えてたのかな」
そんな疑問だけが残った。

華の会メールというサービス自体が悪いわけじゃない。
むしろ、真剣に誰かとつながろうとしている人には、ちゃんと意味がある場所だと思っている。

でも、もしかしたら――
私は、自分の不安を“文章で整えただけ”だったのかもしれない。

誰かの孤独に触れたつもりで、
実は、自分の安心材料として言葉を並べていただけだったんじゃないか。

そんな考えが、夜中の静けさにじわじわと染み込んでくる。

正しさと、届くかどうかは、別の話

アフィリエイトって、どうしても「成果」で語られる。
数字が出れば正解、出なければ失敗。

でも、その夜の私は、
「成果が出ない=間違っていた」とは、どうしても思えなかった。

ただ、届く距離にいなかった だけかもしれない。
タイミングが、ほんの少しずれていただけかもしれない。

それなのに、
「もう書かないほうがいいのかな」
「このテーマは向いてないのかな」
そんな極端な思考に、簡単に引きずられてしまう自分がいた。

誰にも見せない思考って、だいたいこういう形をしている。
表では冷静なふりをして、内側ではすぐに自分を疑う。

それでも、書いてしまう理由は何なんだろう

布団の中で天井を見ながら、
私は「なぜ、また明日も書くんだろう」と考えていた。

お金のためだけなら、もっと効率のいい方法がある。
成果が出やすいジャンルも、他にいくらでもある。

それでも、
華の会メールのようなテーマに、なぜか戻ってきてしまう。

たぶん私は、
「誰にも言えない気持ちが、確かに存在している場所」 に、どうしても惹かれてしまうんだと思う。

登録画面を開いて、閉じて、また開いて。
その数分間の迷いを、私は知っている。

成果が出なかった今日のことも、
無駄だったとは、まだ言い切れない。

答えにならないまま、今日を終える

洗濯物をたたみ終えたあと、
もう一度だけ、管理画面を見て、そっと閉じた。

うまくいかなかった。
でも、何かを間違えたと断定するには、まだ早い気がする。

華の会メールのアフィリエイトが、
私に向いているのか、向いていないのか。
この書き方でいいのか、変えるべきなのか。

答えは、今日は出さない。

ただひとつ言えるのは、
このモヤっとした感情こそが、たぶん私が書き続けている理由なんだと思う。

そう思いながら、
部屋の電気を消した。

 

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やる気はあるのに止まってしまう夜に読む、通信教育が生活に溶け込まない本当の理由

続かない私の味方になってくれるもの

夜のキッチンは、なんだかいつもより静かで、冷蔵庫のモーター音だけが妙に存在感を持っていました。

 

仕事から帰って、コートを脱いで、洗面所で手を洗って、いつもの流れでお湯を沸かしたのに、マグカップに注いだ途端、ふっと気が抜けてしまって。窓の外は乾いた冬の空気で、街灯の光がベランダの床を薄く白く照らしていて、「今日も一日終わったね」って誰かに言われたみたいな気分になりました。

 

こういう夜って、何かを始めるには一番向いてないのに、なぜか“始めたくなる”瞬間でもあるんですよね。


未来の自分に期待してみたくなるというか、現状をちょっとだけ上書きしたくなるというか。私はだいたいこういうときに、アプリのメモを開いて「やりたいことリスト」を更新し始めて、結局、更新しただけで満足して眠ります。えらいのか、えらくないのか、よくわからないやつです。

 

通信教育のことを考えたのも、まさにそんな夜でした。働きながら手軽に始められるし、場所も時間も選ばないし、「これなら私でも続けられるかも」っていう、あの甘い期待が、冬の湯気みたいに立ち上る。


でも同時に、私は知ってる。私が通信教育を“続けられなかった側”の人間だってことも。

続けられない自分を、こっそり嫌いになる夜がある

今日の小さな出来事は、すごく小さい。


帰り道、駅の改札を出たところで、通信教育の広告が目に入ったんです。きらっとした紙面に「たった1日10分で」「忙しい人ほど向いている」みたいな言葉が並んでいて、モデルさんはいい感じに笑っていました。たぶん、ちゃんとした生活をして、ちゃんと眠って、ちゃんと自分を好きでいられる人の笑顔。

 

私は一瞬、立ち止まりそうになって、でも立ち止まったら負けな気がして、そのまま歩きました。


広告って、励ましてくれてるふりをして、たまに胸の弱いところを正確に押してくるからずるい。私はわざとスマホを見て、「別に気にしてないけど?」みたいな顔をして歩いたんですけど、内心はちょっと刺さっていました。

 

誰にも言わなかった本音はこれです。


「どうせ私、続かないのに」って、先に自分で言っておきたかった。
傷つく前に、予防線を張っておきたかった。たぶんそれが一番正直。

通信教育って、始めること自体は簡単なんですよね。申し込んで、教材が届いて、ログインして、最初の一歩を踏み出すところまでは、むしろ気持ちいい。
問題は、その次。

続ける日々の中に、私が勝手に作る“言い訳の居場所”が、いくらでもあること。

「今日は疲れてるから」
「明日は早いから」
「今週は仕事が立て込んでるから」
そうやって一回休むと、二回目が簡単になる。二回目が簡単になると、三回目は“もうやめた方が楽”に変わる。
そして私は、やめたことよりも、やめた自分をこっそり嫌いになる。ここが地味にしんどい。

たぶん、読んでるあなたも一度は思ったことがあるはず。
「続けられないのって、私の性格のせいなのかな」って。
この一文、心の中で言った瞬間に、部屋の温度が一度下がる気がするやつです。

通信教育の「強み」は、私の生活の隙間に入り込めること

帰宅してから、私は床にバッグを置いて、コートをハンガーにかけて、手も洗って、やっとソファに沈みました。スマホを開いて、さっき見た広告のことを思い出して、なんとなく「通信教育 続かない」で検索して。


自分の弱さを見に行く行動って、我ながらちょっと趣味が悪いなって思います。でも、やっちゃう。

スクロールしているうちに、あらためて「通信教育の強み」ってわかりやすいな、とも思いました。

  • 時間の自由度が高い:早朝でも深夜でも、10分でも30分でも、とにかく自分のタイミングで進められる。

  • 場所を選ばない:通勤電車の中でも、ベッドの上でも、家のテーブルでも、どこでも学べる。

  • 自分のペースで戻れる:一度止まっても、また戻ってこれる“余白”がある。対面の習い事みたいに「欠席=置いていかれる」が少ない。

  • 必要なものが揃っている:教材やカリキュラムが用意されているから、ゼロから自分で道を作らなくていい。

これって、働きながら何かをやる人にとっては、ほんとうにありがたい強みなんですよね。


そもそも、毎日がギリギリで回っている人ほど、「学ぶためのハードルを下げてくれる仕組み」が必要だったりするし。

 

私もここまでは、すごくうなずける。
うなずけるのに、続かない。
その矛盾が、地味に恥ずかしい。

弱みは「誰にも迷惑をかけない」から、やめるのも静かだということ

通信教育の弱みって、結局ここに集約される気がします。
“やめるときに、何も起こらない”ってこと。

通学だったら、先生がいる。教室がある。時間がある。仲間がいる。
行かなかったら、欠席になる。何かが欠ける。誰かの目がある。
良くも悪くも、それが「続ける力」になったりする。

 

でも通信教育は違う。
やめても誰も困らないし、誰も怒らないし、誰も心配しない。


こちらが静かにログインしなくなって、教材が棚の奥に押し込まれて、いつの間にか“過去のやる気”になるだけ。

 

そして私は今日、そこにもう一つの弱みを見つけてしまった。
それは、「続かなかったことを、全部自分の人格の問題にしやすい」ってこと。

誰にも迷惑をかけない分、「私が悪い」で完結しやすい。
環境のせいにも、タイミングのせいにも、誰かのせいにもできないから、全部自分の中に落ちてくる。


その静けさが、逆にしんどい。

今日の私は、ソファの上で、湯気の消えたマグカップを見ながら、ふとこう思いました。


「続かなかったことって、サボりじゃなくて、疲れてたってだけなのに」って。

でも同時に、もう一段、意地悪な声も聞こえる。
「疲れてるのはみんな同じだよ」って。
こういう声、外から言われるより、自分の中から出てくる方がやっかいです。

私が今日気づいたのは「強みは継続の助けになる、でも助け方は人によって違う」ってこと

ここからが、今日だけの小さな気づきです。
私はこれまで、通信教育の強みを「自由だから続けられるはず」と単純に捉えていました。


でも今日、改札の広告に刺さったあと、家でぼーっとしているうちに、考えが少しだけ変わりました。

 

自由って、強い人の武器にもなるけど、弱ってる人には刃にもなる。


これ、ちょっと嫌な真実です。

自由だと、いつでもできる。


いつでもできるってことは、いつまでもやらなくていい、にも変換できる。


私はそっちの変換が上手すぎる。ほんとに、才能を間違えている。

 

だから、通信教育を続けるためには、強みをそのまま受け取るんじゃなくて、自分の生活に合う形に“翻訳”する必要があるんだと思いました。


強みは同じでも、助け方は人によって違う。

私が今日やってみようと思った“翻訳”は、すごく地味です。

  • 「自由にできる」→ “やる時間を先に決める”(自由を減らす)

  • 「場所を選ばない」→ “やる場所を固定する”(例えばキッチンの椅子だけ、とか)

  • 「自分のペースで戻れる」→ **“戻るルールを用意する”】【2日空いたら、最初の1ページだけ読む】みたいな小さい再開の道

  • 「教材が揃っている」→ “開くまでの工程を減らす”(ログインが面倒なら、最初のページをブックマークするとか)

要するに、通信教育の強みを“私がサボるために使わない形”にする。


この言い方、ちょっと自嘲っぽいけど、私には必要なニュアンスでした。
「頑張る」じゃなくて、「逃げ道の形を変える」みたいな感じ。

 

今日のささやかな変化は、たぶんこれです。
私は「続けられない自分」を責める代わりに、続けられない前提で設計し直していいと思えた。


たったそれだけなのに、胸の中の硬いところが少しだけゆるみました。

ポジティブにまとめすぎたくないから、正直に言うと、これで続く保証は全然ないです。


私は明日またサボるかもしれない。普通にサボると思う。
でも、今日みたいに改札の広告に刺さって、帰り道に自分を嫌いになりかけて、それで終わらせない選択肢が一つ増えたのは、私にとってはわりと大きい。

 

そして、たぶん読んでるあなたも、こういう日がある。
やる気があるのに続かない日。


続かないことより、続かない自分を嫌いになりそうな日。
「続けられない」って、努力不足じゃなくて、生活がちゃんと現実だっただけって、言ってあげたくなる日。

最後に、問いかけで終わらせます。
あなたがもし「また続かなかった」と感じたとき、それは本当に“あなたの弱さ”なんでしょうか、それとも、あなたの生活がちゃんと頑張っていた証拠なんでしょうか。

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太ももばかり気になる夜に読んでほしい、全身バランスを崩さない痩せ方の話

何をしても太ももだけ変わらない気がする日、全体から整えるという選択

 

朝、洗面所の鏡の前に立った瞬間に、空気が少しだけ冷たく感じた。窓の外は白っぽい冬の光で、いつもより部屋の輪郭がはっきりして見える。

 

私はパジャマの裾を少し持ち上げて、太もものあたりをぼんやり眺めた。寝起きの自分の肌って、どこか正直だ。昨日の塩分も、今日の機嫌も、全部そのまま映すみたいに。

「今日こそ、ちゃんとやろう」

言葉にしたら負けな気がして、声には出さなかった。誰に宣言するわけでもないのに、宣言ってたまに自分を追い詰める。

 

だから、心の中でだけ、柔らかく言った。今日こそ、太ももがやせるダイエットをする。今日こそ、うまくいく。今日こそ。

でも、この“今日こそ”が、うまくいかなかった日の合図みたいに聞こえるときもある。

キッチンでお湯を沸かしながら、スマホを見た。昨夜寝る前に保存した動画がいくつも並んでいる。「内ももに効く」「骨盤矯正」「むくみ取り」「寝たまま3分」。どれも私の心の弱いところに、やさしく手を差し伸べてくる。「大丈夫、簡単だよ」「これなら続くよ」って。

私はそういう言葉に、何度も救われたいのだと思う。

だけど、救われたい気持ちと同じくらい、「救われないかもしれない」っていう不安も持っている。努力しても変わらないとか、続けられないとか、変われたとしても、結局また戻るとか。そういう未来を、一緒に想像してしまう癖がある。

 

朝ごはんは、オートミールにしようと思っていた。冷蔵庫にはヨーグルトもあるし、バナナもある。準備は完璧だった。……はずだったのに、手が勝手にパンの袋を開けた。トースターの前でぼうっと立っている間、焦げる匂いのする“いつもの選択”に、体が安心しているのがわかる。

 

太ももがやせたいのに。わかってるのに。

パンが焼ける音がして、私は小さくため息をついた。そのため息が「自分のせい」みたいに聞こえてしまって、嫌だった。自分のせいにするのって簡単だ。だからこそ、簡単にしてはいけない気がするのに。

 

今日は、うまくいかなかったことを、ちゃんと見ようと思った。見ないふりをすると、いつも同じ場所でつまずくから。

 

出勤前、クローゼットの前でまた立ち止まった。タイツか、レギンスか。スカートにするか、パンツにするか。パンツにした方が楽なのに、パンツにすると太ももの存在がくっきりする気がして、着替える手が遅くなる。誰かに見られるわけじゃない。むしろ、誰も見ていない。なのに、私は自分の太ももを自分の目で“評価”している。

 

人に厳しいより、自分に厳しい方が楽な人がいるって聞いたことがある。たぶん私は、そのタイプだ。厳しくして、数字で管理して、やる気で押して、できなかったら反省して。そうしていると「ちゃんと生きてる」気がする。焦りが薄まる。

 

でも今日の私は、そのやり方に少しだけ疲れていた。

 

駅まで歩く道で、脚が重い気がした。昨日の夜にやった“太ももに効くはずのストレッチ”のせいかもしれないし、ただ寝不足なだけかもしれない。とにかく、軽やかじゃない。軽やかさって、体重より先に、気分に来るんだなと思う。

会社のデスクに座ると、同僚の何気ない一言が刺さった。別に悪意があるわけじゃない。むしろ、世間話の延長だ。

 

「最近、運動してる?なんか健康意識高そう」

私は笑って「全然、三日坊主だよ」って返した。うまく返せたと思う。軽く、明るく、気まずくならないように。でも、心のどこかが小さく波立った。

 

“健康意識高そう”って、褒め言葉のはずなのに。なのに私は、なぜか「まだ足りない」って言われたみたいに感じた。自分が勝手に、自分を追い込んでいるだけなのに。

 

昼休み、コンビニでサラダを選びながら、私は自分のことが少しだけ面倒になった。サラダを選ぶと偉い、揚げ物を選ぶとダメ。そんなルールを、私はいつから心に飼い始めたんだろう。ルールが増えるほど、生活は窮屈になるのに。

 

結局、サラダと一緒に、チョコも買った。買いながら「意味ないかな」って思った。でも、意味がないわけじゃない。意味がないと思ってしまう自分がいるだけだ。

 

帰り道、電車の窓に映る自分の脚を見てしまった。座っているだけなのに、太ももは広がって見える。鏡じゃないのに、鏡みたいだ。私はそっとコートの裾を引っ張った。隠すためじゃなく、落ち着くために。

 

家に着いて、部屋の灯りをつけたら、日中の緊張が少しほどけた。靴を脱いだ瞬間、足首のあたりに靴下の跡がくっきり残っているのに気づいた。むくんでる。こういう小さな事実が、私の焦りに火をつける。

 

「だから太ももも……」

 

そこまで考えて、言葉を飲み込んだ。むくみと脂肪は違う。知っている。そんなことは知っている。でも、知っているのに、感情は別の方向に走る。今日の私は、その走り出す感情を止められなかった。

 

冷蔵庫を開けても、作り置きはない。買い物もしていない。やる気が出ない。なのに、お腹は空いている。こういうとき、私の“ダイエットの理想”と“生活の現実”が、同じキッチンでぶつかる。

 

理想は、野菜スープ。現実は、冷凍うどん。

 

私は冷凍うどんを手に取った。袋のままレンジに入れる瞬間、胸の奥に小さな罪悪感が生まれた。別に悪いことじゃない。今日を乗り切るための選択だ。わかっている。でも罪悪感は、わかっているだけでは消えない。

 

レンジの音を聞きながら、私は床に座った。疲れていた。体というより、気持ちが。今日一日、「うまくいかなかった」を何個数えたんだろう。数え始めたら止まらなくなりそうで、数えないことにした。

 

その代わり、スマホを開いて、また動画を見た。「太もも痩せる」「これだけで変わる」。コメント欄には「1週間で細くなった」「人生変わった」って言葉が並ぶ。人生って、太ももで変わるんだっけ。そんなわけないのに、そんなわけないのに。

 

私はたぶん、太ももをやせたいんじゃなくて、太ももをやせられる自分になりたいのだと思う。ちゃんと続けられて、ちゃんと結果が出せて、ちゃんと自分を好きでいられる自分。太ももは、その象徴みたいなもの。変わりたい場所が、たまたまそこに集まっているだけ。

 

でも、太ももって、簡単には変わらない。たぶん、変わることより先に、持ち方を変える必要がある。そういうことを、私は何度も感じてきたのに、何度も忘れる。

太ももだけが悪者みたいな日

うどんを食べながら、私は今日のことを思い返した。朝の鏡、駅までの道、同僚の一言、靴下の跡。全部、小さな出来事だ。でも小さな出来事って、積み重なると大きな気分になる。今日はその日だった。

 

太ももがやせるダイエットをしたいと、様々な方法を試しているという人はたくさんいるのではないだろうか。私もその一人だ。筋トレも、ストレッチも、マッサージも、食事管理も、着圧も、温活も。ひと通り触ってみて、ひと通り「続かなかった」も経験した。

 

でも、続かなかったことだけが事実じゃない。続いた日もあった。頑張れた日もあった。少しだけ変化を感じた瞬間もあった。なのに、うまくいかなかった日って、全部をなかったことにしようとする。今日の私はまさにそれで、たった一日で「全部ダメだった」って結論を急いでいた。

 

全体的にバランスよく、やせることができれば、それが一番。そう頭では思う。脚だけ細くしたいわけじゃない。顔色も、姿勢も、体調も、気分も、全部含めて“いい感じ”になりたい。欲張りだ。でも、その欲張りさは、責めるものじゃなくて、たぶん生きるための願いだ。

 

ただ、バランスって難しい。バランスって、いつも同じ形ではいられない。崩れたあとに、戻って、また崩れて、また戻って。その繰り返しの中でしか、身につかないものなのかもしれない。私はそれをわかっているのに、崩れた瞬間に「終わった」って思ってしまう。

 

崩れた瞬間が、なぜこんなに怖いんだろう。

 

たぶん私は、崩れた自分が“本当の自分”みたいに見えるのが嫌なんだと思う。できない自分、だらしない自分、続かない自分。それが本当だと認めたら、もう変われない気がして。だから私は、崩れないように頑張る。頑張れる自分でいることで、未来を信じる。

 

でも皮肉なことに、頑張るほど崩れたときの反動が大きくなる。

今日の私がしんどかったのは、太ももがどうこうより、「またうまくできなかった」っていう、自分への落胆だった気がする。太ももは、その落胆の受け皿にされただけ。太ももに、今日の機嫌を押しつけてしまった。

 

そう思ったら、少しだけ太ももに申し訳なくなった。太ももは今日も、私を支えてくれたのに。駅まで歩かせて、仕事に連れて行って、帰って来させてくれたのに。

じゃあ私は何を変えたいんだろう

食器を洗って、お風呂の湯を張って、湯気の立つ浴室の前で、私はまた立ち止まった。ここからがいつものルーティンなら、ストレッチをして、マッサージをして、脚を上げて寝る。できたらえらい。できなかったら反省。そんな夜が続いていた。

 

でも今日は、ルーティンに入りたくなかった。

私は浴槽に沈んで、湯の重さに身体を預けた。耳の近くで水の音がして、心臓の音が少しだけ遠くなる。こういう時間だけ、評価が止まる。太ももが太いか細いかじゃなくて、ただ温かいかどうかだけになる。

 

私はゆっくり息を吐いて、自分に問いかけてみた。

 

私は、太ももが細くなったら、何が変わると思っているんだろう。

 

服が似合う。写真が怖くない。鏡の前でため息をつかない。デートで自信が持てる。そういう想像が、すぐに浮かぶ。たぶん全部本当だ。細くなったら、楽になることはある。

 

でも、細くならないと楽になれない、っていう考え方は本当だろうか。

 

細くなくても、楽になれる日はある。たとえば今日は、帰ってきて部屋の灯りをつけた瞬間、少し安心した。太ももはそのままだったけど、安心は来た。私はたぶん、太ももの問題に見せかけて、「安心の置き場所」を探しているのかもしれない。

 

そう気づいたら、少し泣きたくなった。泣くほどのことじゃないのに、泣きたい。泣きたいっていうのは、たぶん今日がうまくいかなかった証拠じゃなくて、今日をちゃんと生きた証拠だと思うことにした。

 

浴槽から出て、身体を拭きながら、鏡を見た。湯上がりの自分は、さっきより少しやわらかい顔をしている。太ももは変わってない。でも、見え方が少し変わった気がする。体が変わったわけじゃなくて、私の目が、ほんの少しだけ優しくなっただけ。

 

この“ほんの少し”が、たぶん大事なんだろう。

 

太ももがやせるダイエットをしたい人はたくさんいる。私もその一人で、きっと明日も何かを試す。動画を保存して、ストレッチをして、また続かない日があって、また落ち込んで。そういう揺れの中にいる。

 

全体的にバランスよくやせられたら、それが一番。だから、太ももだけを悪者にしない。太ももだけを責めない。……って、今日の私はここまでしか言えない。明日になったらまた責めるかもしれない。たぶん、そういう自分もいる。

 

でも、今日はひとつだけ、気づき未満のものを持って眠りたい。

 

「うまくいかなかった日ほど、自分の体に謝りたくなる」

それが正解かどうかはわからない。ただ、今日はそう思った。

 

電気を消して布団に入った。天井が暗くて、部屋が静かで、太もものことを考えないまま眠れそうな気がした。たぶん明日また考える。でも今日は、余韻だけ残して終わりたい。

 

――太ももは今日も、私をどこへでも連れていってくれた。

 

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